【なをとの沖縄移住記/観光地編】那覇市の住宅街に佇む世界遺産『識名園』の歴史と見所を深掘りしたらただの庭園じゃなくて国の格式を見せる外交プレゼン会場だった。

沖縄移住記

那覇のど真ん中。住宅街の奥にひっそりと佇む世界遺産。その名も『識名園(しきなえん)』

初めて名前を聞いた時の正直な感想はこうだ。

「庭じゃん」

そう思って行ってみたら、全然『庭』じゃなかった。歴史のスケールも、建築の細やかさも、そして何より『琉球王国の美意識』って奴が、想像の斜め上をいってた。

ここはかつて王様が外国の使者をもてなした迎賓館。つまり『沖縄の外交は庭で決まった』というトンデモ案件。花を愛でるどころか、ここでは政治も文化も平然と咲いてた訳だ。

今回はそんな『識名園』の歴史と見所を「庭じゃん」ってナメてかかった人間の視点で深掘りしていく。

行く前は癒し。帰る頃には悟り。庭ってレベルじゃねぇぞここ。

識名園とは?

識名園。それは、ただの庭じゃない。ここはかつて、王族の別邸であり、外国の偉い人をもてなす為の迎賓館だった。

首里城が『政治の顔』だとしたら、識名園は『心の顔』だ。つまり『王国の外交用VIPルーム』みたいな場所。

外国から来た冊封使(中国の使者)をこの庭で接待して「琉球王国って文化レベル高ぇだろ?」って静かにマウントを取っていた。お茶出して笑顔で外交。それが琉球スタイル。

この庭で開かれた接待は、もう『おもてなし』の域を超えてる。言うなれば『おもてなし』という名の国家戦略。さすが王様、スケールが違ぇ。

そんな識名園、2000年に『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として世界遺産に登録された。理由はシンプルで『文化のミックスジュースが完成してたから』

琉球文化をベースに、中国の庭園美学と日本の建築様式を合体。気づけば世界中どこにもない『多文化建築の最終形態』がここに誕生していた。

池と橋と御殿の配置は風水的にも完璧で『癒しと外交を両立する庭園』という、どこにも属さない存在。まさに琉球のセンスが光る『外交の舞台装置』

つまり識名園とは【芸術/建築/政治/スピリチュアル】をひとつの庭に詰め込んだ、王国の生きたデザイン。

これを「庭じゃん」だと思って行くと、確実に敗北する。

歴史

尚敬王が築いた静寂の外交舞台

時は18世紀後半。琉球王国がまだ『海のシルクロード』として栄えていた頃、第15代国王尚敬王(しょうけいおう)が一言こう言った。

「別荘つくろ」

聞くとただの贅沢王に聞こえるが、実はこれ『国の未来を賭けた建設計画』だった。

この識名園、ただの『休憩スポット』じゃない。王族の保養地であり、さらに中国の皇帝から来る使者(冊封使)をもてなすの舞台でもあった。

つまり、ここでのお茶会は『外交プレゼンの本番』で、王国の威厳、文化、センス全部評価される。「庭を見れば国がわかる」ってぐらい、世界が琉球をジャッジしてた。

識名園は、そんな重圧の中で作られた静寂の外交ステージ。華やかさよりも『品』豪華さよりも『調和』その空間デザインそのものが「俺たちは小国だけど品格は負けねぇぞ」ってメッセージを放っていた。

要するに、首里城が『戦略本部』なら、識名園は『プレゼン会場』だ。ここで笑顔ひとつ間違えたら、外交失敗。緊張感の中でお茶を飲む、それが琉球流/国際接待。

結果、尚敬王の読みは大当たり。この庭園は『外交と芸術を融合した奇跡の空間』として、今でも『静けさの中に威厳がある』と世界に語りかけている。

戦争で焼け落ちて40年後に甦る

かつて『琉球の心』と呼ばれた識名園も、戦争の炎には勝てなかった。第二次世界大戦、沖縄戦の激化によって園内の建物は全て焼失。池も焦げ、木々も倒れ、王国の面影は完全に姿を消した。当時の人々の記録にはこうある。

「あの静けさが一瞬で無になった」

つまり『平和な音』が、爆撃の音に飲み込まれたって事だ。だが、ここからが琉球のしぶとさである。

戦後、残されたのはわずかな図面、古い写真、瓦の欠片。普通なら「無理だろ」で終わる話。でも沖縄は「じゃあやるか」って立ち上がった。

1980年代、識名園の復元プロジェクトが始動。研究者と職人たちが、失われた文化を『記憶』から再現する戦いを始めた。資料を読み込み、残骸を磨き、柱一本一本を手作業で復元。

そして約40年。気の遠くなる年月をかけて、識名園は再び息を吹き返した。

今の識名園は『再現』ではなく『蘇生』

ただ建て直しただけじゃない。人々の記憶と執念が形になった『もう一度生まれた庭』だ。

だから今、静かに池を見つめるとわかる。風の音も、鳥の声も、全部がこう言ってる。

「焼けても折れても琉球の心は死なない」

中国文化と琉球建築の融合

識名園を歩くと、まず思う。

「ここ日本だよな?」

屋根は赤瓦、門には龍の彫刻、建物の形はどことなく中国っぽい。でも風に揺れる植物や石垣の並びを見ると、ちゃんと沖縄。そう、これが琉球王国の得意技『文化のミックス技』だ。

当時の琉球は中国との交流が盛んで、冊封使(中国の使者)をもてなす為に、あえて中国風の建築様式を取り入れた。「うちの国あなたの文化リスペクトしてますよ」っていう外交の笑顔。でも材料は全部、沖縄産。木も石も瓦も『地元の職人が地元の素材で作る完全ハンドメイド仕様』

つまり識名園はこういう公式になる。

『中国式デザイン』×『琉球式職人技』=『識名園』

海外の文化を取り入れつつ、ちゃんと自分たちの技術で再構築する。今で言えば『和風チャイニーズ・スターバックス』みたいなもんだ。この庭はまさに、王国時代のハイブリッド文化の象徴。国の格を見せる為に、見た目は中国風、中身は琉球魂。

やっぱり琉球って国、ただの南国じゃない。ちゃんと『外交センス』で庭までデザインしてたんだよな。

見所

心字池(しんじいけ)

庭のど真ん中にドンと構えるのが、この『心字池(しんじいけ)』

その名の通り、漢字の『心』の形をしている…誰が最初にこの発想出したんだ、センスありすぎだろ。

ただの池じゃない。ここは『心をもてなす』という精神の象徴。王族と外国の使者がこの池を舟で行き来しながら、お茶飲んで笑顔で外交。つまり『水上会議室』

外交の場に心を形で置くあたり、もう琉球王国=詩人集団説ある。

六角堂/石橋

心字池の真ん中にポツンと浮かぶ東屋、これが六角堂。形はシンプルだけど、眺める角度で表情が変わる。もう『建築界のアングル詐欺』

ここで王様は風を感じながら一服して「ふむ…中国のヤツ今日は機嫌が良さそうだな」とか考えてたんだろう。

そしてその六角堂へ続く石橋。これがまた優雅なアーチで、池と空を繋ぐ王国の架け橋。渡るだけで外交レベルが上がりそうなオーラがある。

風景としても完璧。水面に映る六角堂と橋のシルエットは、まるで『琉球の静寂が時間を止めたような世界観。

御殿(うどぅん)

そして忘れちゃいけないのが御殿(うどぅん)。王族の滞在用に建てられた建物で、中は畳と床の間が絶妙に融合した和琉折衷建築。

日本の『わびさび』と、琉球の『てぃーだ(太陽)』が同居してる。木造赤瓦の屋根は、陽光を受けると金色に輝いて見えるレベル。まさに、南国の京都。もし当時Instagramがあったらここは確実に王族のストーリースポット

琉球の王様が「ここ映えるな」って思ってたかは知らんが、未だに観光客がカメラ構えて同じ角度で撮ってるのを見ると「美の感覚は時代を超えるんだな」って思う。

アクセス情報

住所

名称住所情報源
識名園沖縄県那覇市真地421-7那覇市公式サイト

駐車場

名称車種時間情報源
識名園専用駐車場普通車(要確認)NAHANAVI

営業時間

名称時間最終入場情報源
識名園[4/1-9/30]9:00-18:0017:30那覇市公式サイト
識名園[10/1-3/31]9:00-17:3017:00那覇市公式サイト
休園日毎週水曜(祝日/慰霊の日は翌日休園)那覇市公式サイト

入場料金

名称料金情報源
一般(大人/16歳以上)400円那覇市公式サイト
一般(小人/中学生以下)200円那覇市公式サイト
団体(20名以上/大人)320円那覇市公式サイト
団体(20名以上/小人)160円那覇市公式サイト
年間パスポート(大人/小人)800円/400円那覇市公式サイト

決済方法

区分支払方法情報源
入場料(窓口)現金NAHANAVI
入場料(電子)旅行会社QR(那覇市WAKU WAKU電子チケット等)NAHANAVI

交通手段

手段主要ルート所要時間目安料金情報源
❶那覇IC
❷県道82
❸県道222
❹識名園
約5分るるぶWeb
タクシー❶那覇市内
❷識名園(距離に応じ加算)
約10-20分初乗り600円(普通車)MKグループ
バス❶那覇BT(那覇バス)
❷識名園前
約30分沖縄観光ガイド
バス❶牧志駅前
❷(系統5等)
❸識名園前
約15分るるぶWeb

実際に行ってみた

ジャングリアよりジャングリアしてる

まず言わせてくれ。庭園のくせに、自然が本気出しすぎ。

識名園って聞いた時は『整った庭』だと思うじゃん?行ってみたらジャングル寄りの庭園だった。ヤシの木が生い茂り、デイゴの木がドーン。日差しを遮る木陰が至る所にあって、炎天下でも意外と涼しい。

なんなら「これ昔からあったんじゃね?」ってレベルで原始的。そう、人間が『自然を整えた庭』じゃなく、自然が『人間を許した庭』みたいな感じ。

最近できたテーマパーク『ジャングリア』より、本家の識名園の方がジャングリアしてた。もうここが本店でいい。

首里城から近い

識名園、実は首里城から車で約10分。歴史好きの観光客なら、ハシゴ確定ルート。

首里城で『琉球の政治』を見て、識名園で『琉球の美学』を感じる。このセット、教科書の実写版。

どっちも世界遺産だから、移動10分で『別の時代』にワープできる。燃えた城と蘇った庭。どっちも『人間の執念』で成り立ってると思うと、急に胸熱。

王朝食パン識名園

そして意外なトピック。発券所の隣に、なんと『王朝食パン識名園』さんというパン屋がある。

名前からして高そう…『王朝』って単語ついた時点で、俺の財布が逃げた。結局、見ただけで買ってない。金欠が世界遺産級だったんだよ。

でも香りだけで高級。パンの焼ける匂いが『文化遺産の香り』してた。いつか余裕できたら、絶対リベンジする。今度は財布も一緒に観光に連れて行く予定。

住所

名称住所情報源
王朝食パン識名園沖縄県那覇市真地421-7[公式]おきなわ食材の店/おきなわ食材の店

営業時間

名称時間情報源
営業時間(4-9月)10:00-17:30食べログ/店舗基本情報
営業時間(10-3月)10:00-17:00食べログ/店舗基本情報
定休日水曜日[公式]おきなわ食材の店

決済方法

区分支払方法情報源
店頭クレジットカード可食べログ/支払い方法
店頭QRコード決済可食べログ/支払い方法

最後に

行く前は「庭じゃん」だと思ってた。行ってみたら『人生』だった。

王様が客をもてなす為に作った庭は、時を経て、現代人を癒やす為に残った。つまりこの庭、時空を超えて人助けしてる。もはや植物界のカウンセラー。

心字池は『心をもてなす』って形してるけど、実際は『現代人の心を整える構造』だった。六角堂では風が通り抜けて、まるで「あせんな人生も庭も回り道多めが丁度いい」って囁いてくる。

そして何より、焼けても壊れても40年かけて甦った姿が尊い。人間が壊した時代に、人間が立て直した希望の象徴。識名園の草木よりも、そこに携わった人の心が一番青々としてた。

観光地としても、歴史的にも文句なし。けど一番の魅力は静寂。SNSも通知も何もない空間で、ただ風の音を聞いて「あっ俺生きてるな」って思える場所。

識名園は庭園じゃない、人間のリセットボタン。歴史を知れば誇らしく、歩けば心が軽くなる。行く価値、全焼クラスにある。

他にも色んな記事を書いてます。沖縄移住で新しい文化に触れたり、沖縄の離島をチャリで回ったり、県外に出て絶景を巡ったり、海外でパスポート投げつけられたり。お時間があれば、ぜひ他の記事も覗いてみて下さい。

最後まで読んでくれて本当にありがとう。あなたの貴重な時間を、俺のクソどうでもいい体験談に溶かしてしまって申し訳ない…とか言いながら、めちゃくちゃ嬉しいからこれからも遠慮なく時間を奪わせて下さい。

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