【内地巡遊記/京都府編】紅葉と静寂に包まれる『常寂光寺』とは?戦乱をくぐり抜けた古刹に宿る『常寂』の意味とその歴史を深掘りしてみた。

京都。それは日本が誇る観光地という名の人混みエンタメ地獄。和の心?風情?そんなものは修学旅行生のカメラの連射音と、着物レンタルした女子大生の自撮り棒にねじ伏せられている。

八ツ橋に抹茶ソフト、舞妓体験と人力車。もうね、どこ歩いてもインスタか地獄かってくらいのSNS映え空間。

そんな京都の嵐山エリアに、こっそり息を潜める寺がある。それが『常寂光寺』

ここは紅葉と静寂に包まれるって言われてるけど、秋になれば観光客がその『静寂』をぶっ壊しにやって来るから油断は禁物。

名前の『常寂(じょうじゃく)』とは仏教用語で、煩悩も騒音も超えた究極の平穏を指すらしいが、現代ではその『常寂』を撮るためにスマホ構えた戦士たちが仁王立ちしてる。

つまり今回のテーマは『戦乱と紅葉と人混みをくぐり抜けてどうにか常寂しようと頑張る寺』それが『常寂光寺』です。名前は寺。神社じゃない。絶対に間違えるな。


【常寂光寺とは?】

常寂光寺。読めない奴はまずそこからググれ。読めた奴もドヤ顔するな。ここは仏教用語のテスト会場じゃねえ。

場所は京都の嵯峨野エリア。そう、あの竹林で有名な『インスタでしか見た事ない観光地』だ。迷っても風情のせいにできるレベルで道が入り組んでる山の中に、何か悟ったような顔して佇んでるのが常寂光寺。どう見ても「自分、静寂とか得意っす」って顔してる。

でも秋になると紅葉がバチバチに燃えて、静寂なんてどこへやら。人間の数だけ煩悩が増えるのか、もはや山寺がレッドカーペット状態。悟りを開くどころか、自撮り棒を振りかざす人類の進化を目の当たりにできる。

境内は段差と坂だらけ。つまり脚に優しくない。でもその先にある多宝塔がやたらカッコいい。急にフォトジェニック。SNS映えを狙ってるのかたまたまなのか、誰も教えてくれない。

ちなみに名前の由来は『常に寂しい』じゃなくて『常に寂滅(=静かで悟った境地)』つまり『煩悩リセット道場』みたいなもん。でも現代の観光客が押し寄せてきて、寂滅どころか足元からにぎやかに爆散している。

…とまぁ、説明すればするほど説明になってないが、とりあえず言えるのはひとつだけ。ここ、紅葉シーズンの写真がバチクソ綺麗。


【常寂光寺の歴史】

①寺名に込められた『常寂光』の意味とは?

さて「常寂光寺って名前、字面だけ見るとなんか静かでキラキラしてて良さげ〜」って思った奴、後で説法5時間受けてもらうからな。

これはただのインスタ映え寺じゃなくて、仏教ガチ勢の本気ワードが使われてる。名前の元ネタは『常寂光土(じょうじゃっこうど)』っていう、仏教用語。簡単に言うと、これは『仏が住んでる理想の世界』って訳だ。

❶仏のホームタウン『常寂光土』

常寂光土ってのは

  • =変わらない
  • =煩悩や騒がしさがない静けさ
  • =悟りの光が満ちてる
  • =土地

要するに『全ての苦しみから解放されて光に包まれた悟りの領域』だ。「それってジブリのラピュタみたいなもん?」って思った奴、考え方としては合ってるけど空飛びません。

❷なんでそんな名前にしたの?

この常寂光土、仏教の中でも『法華経(ほけきょう)』っていう経典の中でよく登場する。特に『如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)』って章には『仏は実はずっと前からここにいたし、ずっとこの世界を見守ってる』っていう、信じる者は救われそうな熱い展開が出てくる。それが『常寂光土=現実世界にも仏の国はある』という思想に繋がるんだな。

で、常寂光寺を開いた日蓮宗のお坊さんたちが「この寺こそ悟りの光が満ちてる場所だ!」って自信満々で命名したわけ。仏教界での『自己評価が爆上がりしてるネーミング』って奴だ。

【まとめ】

簡単にまとめるとこうだ

  • 常寂光ってのは『静寂で光り輝く、悟りの世界』って意味
  • それを名前にしちゃったのがこの常寂光寺
  • 「俺らの寺もはや極楽っしょ?」ってくらいの勢いある自己PR

控えめに言っても寺界のネーミング暴走族である。


【開山/日禛上人と本圀寺の関係】

さっき『常寂光』とかいう名前が悟りMAXのワードだって話したけど「じゃあそれを名付けた張本人は誰だよ」って話。その答えが『日禛(にっしん)上人』この人である。

①日禛上人って何者?

まず、この人は日蓮宗の僧侶。しかもただの坊さんじゃなくて、結構ガチめのエリート。江戸時代の最初の方、慶長年間(大体1600年前後)に活動してた人で、
超有名な本山『本圀寺(ほんこくじ)』の住職をしてた。
日蓮宗界隈では『仏法バチバチの敏腕マネージャー』みたいな立ち位置だな。

❶なぜ常寂光寺を建てたのか?

そもそもこの寺、もともと『小倉山御殿』という別荘跡地にあった建物がルーツ。そこに日禛上人が目をつけて「ここ仏道修行に良さげじゃね?」って感じでガチンコで開山しにかかった。

この時代、江戸幕府ができた直後で、仏教各宗派が「うちの寺こそ由緒正しきエリート宗派です」って競い合ってた。そんな中で日禛は、小倉山の静けさと美しさに惚れ込んで「ここを常寂光土にするしかねぇ」と決意。

今で言うと、誰も住んでない山奥の古民家を買って「ここ俺の理想のカフェにするわ」ってクラファン始める若者くらいの情熱。

❷本圀寺からの移転ってどういう事?

「じゃあ本圀寺はどうなったの?」って思ったそこのアナタ、鋭い。実は本圀寺って、もともと六条辺り(京都市の中心部)にあったんだけど、応仁の乱でガンガン焼かれたり、立て直してもまた火事にあったりで、なかなか落ち着かなかったんだな。

で、日禛はその混乱した時代の後継者として「都心はもうしんどい!静かな所にしよう」って事で、小倉山に『新しい拠点=常寂光寺』を立てた。つまりこれは『引っ越しという名の独立』である。

【まとめ】

  • 日禛上人は本圀寺のトップレベル坊さん
  • 応仁の乱とかいろんなゴタゴタを経て、小倉山に「仏の国作るぞ」って気合で移転
  • 静寂×自然×法華経のガチ空間を完成させた男

いわばこの寺は『京都で疲れた僧が、自分の理想を叶えたリトリート』なんだ。悟りとロマンが詰まった男のDIY寺、それが常寂光寺って事だ。


②戦乱をくぐり抜けた洛西の隠れ寺

常寂光寺。コイツは、やたらと静かだ。紅葉の季節以外は、観光客の密集地[嵯峨嵐山エリア]の中でも妙にひっそりしてる。で「なんでこんな静けぇのか」って話をするには、ちょっとだけ戦国〜江戸初期の修羅場を覗いてもらう必要がある。

まず前提として、常寂光寺が建てられたのは安土桃山時代の終わりごろ(1590年代)。この時期の京都はというと
信長「本能寺で死んだわ」
秀吉「城つくるわ寺も壊すわ」
家康「んじゃワシが幕府ひらくわ」
…っていう感じで、もう政治も宗教も全部ごちゃまぜのカオス状態。

で、寺という寺が焼かれたり、取り潰されたりしてる中で、なぜかこの常寂光寺、ほぼ無傷でノーダメ生還してる。

理由❷[場所が僻地]

まずこれ。嵯峨嵐山の中でもさらに奥地。常寂光寺があるのは『小倉山の北斜面』つまり山の裏側。バチバチの戦乱でみんな京都中心部や城の近くを攻めてる中で『ちょっと山ん中にある静かな新設寺』なんて、正直

攻めに行く価値ない。

例えるなら、真夜中にコンビニ強盗する時に、山の上にある売上低めの個人商店はスルーするでしょ?って話。

理由❷[日蓮宗という宗派の絶妙ポジション]

当時、宗派の立場もバチバチだった。浄土宗、真宗、天台宗あたりは政治と絡みすぎてて、よく焼かれた。でも日蓮宗は「うるさいけどちょっと距離あるから今は後回し」みたいな立ち位置。

もちろん敵がいなかった訳じゃないけど、ちょうど良く目立たず、ちょうど良く信者もいて、ちょうど良く政治から離れた立地にあったのがこの寺だった。

その理由❸[寺というより悟り専用スポット扱いだった]

そして最大の理由が『常寂光』って名前のイメージ戦略。

武士「ここ何の寺?」
坊主「いや…悟りの境地を表す場所で…観光とかじゃなくて…」
武士「えっなんか難しそうだから放っとこ」

みたいな謎の防御力。悟り系のスピリチュアル空間って、荒らす側も躊躇うから強い。

【まとめ】

  • 戦国の火の海の中、嵯峨の奥地にひっそりと立ってた
  • 日蓮宗の独立ポジと、悟り全開なネーミングのせいで誰にも手出しされなかった
  • 結果、京都でも数少ない『戦国ノーダメージ組』の寺となった

そう、つまりこの寺、たまたまじゃなくて選ばれし静寂だったって話。


【桂川の流れと嵯峨野文化の中で育まれた歴史】

常寂光寺のある嵯峨野は、ただの京都のはずれじゃねぇ。むしろ古典好き、俳句クラスタ、文豪オタクには聖地みたいな場所だ。で、そんな嵯峨野文化を語る上で欠かせないのが

❶『桂川』ただの川じゃない、風流のベルトコンベア

まず『桂川』

こいつ、ただの川じゃねぇ。風流と歴史と観光を全部運んでくる『文化の血管』みたいな存在だ。春は桜が舞って、夏は緑が映えて、秋は紅葉が流れて、冬は…寒い(それだけ)。

川沿いには渡月橋があり、その奥に広がるのが嵯峨野と小倉山。つまり常寂光寺の立地ってのは、風景詩人たちが「ここ住みたい」って言い出すレベルの超チルな場所って訳。

❷『小倉山』名前からしてもう雅(みやび)

で、その山の名は『小倉山(おぐらやま)』
『百人一首』がどうとか『小倉百人一首』って聞いた事あるだろ?

あの「秋の田の〜」とか「こぬ人を〜」とか、そういう恋と自然と風情の詰め合わせ短歌集、その編集された場所が小倉山周辺だとされてるんだわ。要するにこの地『和歌クラスタのホーム』みたいなもん。

❸文人/俳人たちのサバイバル避難所

このエリア、何が凄いって、歴史的にも『文化人が現実から逃げ込む場所』だったんだな。

戦乱だの政治争いだの、都の中心が荒れてる時に「俳句でも詠んで落ち着くか…」とか「和歌のひとつでも捻っとくか…」っていう逃避スキル高めの文人たちが、小倉山のあたりに集まってきた。

で、常寂光寺みたいな『静かで空気澄んでて、文化人ウケしそうな場所』は、そりゃもう彼らの理想郷だった。

❹常寂光寺は『風流のなかに建った寺』

  • 場所は小倉山の中腹という絶景ポイント
  • 下には桂川、背後には嵐山の山並み
  • そばには渡月橋、竹林の小径、俳句の殿堂・落柿舎

それ全部を見下ろせる位置に建ってるのが、常寂光寺。

「ここが静かじゃなかったら日本のどこが静かなんだよ」って話よ。

【まとめ】

  • 桂川と小倉山というダブル雅(みやび)ロケーション
  • 風流と孤高と寂寥を味わいたい人たちの逃避地
  • それに全力で寄り添って静けさを保った常寂光寺

この寺は、歴史に翻弄されたんじゃなくて、風景と文化に守られたんだよ。誰も攻めてこないし、誰も騒がない。でも、みんなが心の中で「帰りたい」と思う場所。それが、常寂光。


【文化財と現代に残された歴史的価値】

『文化財』って聞くと、正直ちょっと身構えるだろ?あの触っちゃダメ、写真もダメ、なんか厳しそうって奴な。でも常寂光寺の場合は、もっとゆるくて味わい深い。ちゃんとしてるけどちゃんと構えなくていい文化財がそろってる。

❶[多宝塔(たほうとう)]コイツが主役

江戸時代初期(1620年頃)に建立された、常寂光寺のシンボル的建物。名前の通り『宝が多そうな塔』で、二重構造。上が円形、下が方形という構造的ツッコミどころ満載のフォルム。で、この多宝塔

「中から悟りの波動とか出てんのか?」
「いや違う。あれはただの空気清浄機だ(錯覚)」
「遠くから見たら、絶対パワースポット認定してくるインスタ民がいるやつだ」

って感じの神秘オーラ放ってる。でも実際は、江戸初期の建築様式と宗教的意匠を凝縮した名建築として、京都府の文化財にバチッと登録済み。しれっと偉い。

❷[本堂]日禛さんの夢の跡

本堂は、日禛上人が移築したと言われる建物。詳細な築年はやや不明だが、桃山時代から江戸初期の木造建築とされている。これも文化財指定されている理由は『派手さじゃなくて品格と時代感』だ。

「見てこの軒の反り!地味だけど味あるやつ!」
「ギラギラしてない分、逆に徳が高そうに見える現象発生してる!」

しかも、本堂周辺の苔庭と紅葉のコラボがすごい。視覚的に[わび/さび/尊み/浄化]が4連コンボで押し寄せる。

❸[庭園]静けさという名の資産

庭園も見逃すな。派手な池とかはない。滝も流れてない。でもその代わり『音がしない事の美しさ』を教えてくる。

「庭に池とか置いてバチャバチャ言わせるの逆に野暮だよな」
「こっちは静寂だけで勝負してんだよサウンドレス庭園だよ」

この抑えた構成が、常寂って名前にバチバチにハマってるのよ。全体が『音声OFFの世界遺産』みたいな雰囲気を醸し出してくる。

❹文化財指定の意味とは?

要するに、常寂光寺ってのは、

  • 派手さじゃなくて『気配』で語ってくる仏教建築
  • 雅でも俗でもなく、ただ『静けさ』の中にある寺
  • 文化財という称号すら照れくさそうにしてる、ツンデレ系古刹

こういう寺が今もある事自体が奇跡だし、紅葉や景観だけじゃなく『何も変わってない』という価値そのものが、現代の俺たちには効くんだよ。

【まとめ】

  • 多宝塔は江戸初期の文化遺産
  • 本堂は時代と宗派の記憶を刻んだ移築建築
  • 庭園は音のない名演奏

この3つがそろった常寂光寺は「来たら静かになるしかない」っていう、脳に響く系の文化財なんだ。


【常寂光寺のアクセス情報】

住所
〒616-8397 京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3

①営業時間

内容時間
拝観時間9:00〜17:00(受付終了16:30)
定休日年中無休

②入場料

区分料金
大人500円
小中学生200円

③交通情報一覧

交通手段所要時間(目安)料金(目安)
①電車JR嵯峨嵐山駅から徒歩約15分JR京都駅→嵯峨嵐山駅:240円
②バス京都駅から市バスで約50分→[嵯峨小学校前]下車 徒歩約10分約230円
③タクシー京都駅から約30分約3,000〜4,000円
④車京都駅から約30分(嵐山方面へ)駐車場なし(付近の有料Pを利用)

案内が結構ガバガバなので、公式サイトからもチェックお願いします。[公式サイト]常寂光寺


【実際に行ってみた】

①まだ紅葉の本気出してなかった。

訪れたのは11月上旬。嵯峨野の風がちょっと寒くなってきた頃で、境内の紅葉も色づき始めてはいた…が、なんか様子がおかしい。「十分綺麗じゃん?これで終わりで良くね?」と思ってたら、横から神主っぽいおじさんが言うんですわ。

「ああ、まだこれ序章ですから。本気出すのは中旬以降ですから」

いや、こっちはもうスマホのバッテリーと心のバッテリー、両方限界来てるんですけど?でも確かに、境内全体から「まだまだ俺たちはこんなもんじゃねぇ」という『静かな圧』が漂ってて怖かった。紅葉にプレッシャーかけられたのは初めてだ。

あと、注意点としては本気の紅葉が見たいなら11月中旬以降が正解。それ以前に行くと、ちょっと気が早い観光客扱いされる可能性あり。俺のように。


【最後に】

紅葉と静寂に包まれた寺とか言っておいて、行ってみたら紅葉はまだやる気ゼロ、静寂どころか観光客のカメラ連写音が響き渡るという、情報過多なギャップ詐欺をくらったのが今回の常寂光寺である。

でもな、だからこそ良かったんだよ。

どんな観光地にも『完成されていない姿』ってのがある。人が少ない朝の光景とか、季節をちょっと外した色付き前のモミジとか。それでもそこに足を運んで、ぼんやりと風を感じて帰る。その時間こそが、もしかすると『常寂光』なのかもしれない。

…って、かっこよく締めたけど、紅葉が満開になる頃にまた行くつもりだし、次こそはバッチリ映える写真を撮ってSNSでドヤ顔する予定だ。

心の静寂よりバズりたい。でも、またあの静かな山の中でふと立ち止まる日が来るだろう。それもまた『旅』ってやつの味なんだよな知らんけど。

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