【なをとの内地巡遊記/京都府編】石川五右衛門が見た絶景『南禅寺』とは?歴史が濃すぎる観光スポットを深堀りしてみた。

京都府。それは紅葉と寺と修学旅行生と観光バスの密度でできている魔都。風情という名の洗脳が街ごとにかけられ、歩くだけで自分が文学作品のモブキャラになれる場所。

名産物は八ツ橋に漬物に宇治茶。どれもお土産の袋に書いてある文字のフォントがやたら達筆。あと舞妓さんっぽい人を見かけても、9割型レンタル着物の観光客なので勘違い注意だ。

そんな京都のど真ん中、観光本で必ず『紅葉スポット上位』にランクインするのが、この『南禅寺』

『五右衛門の絶景』とか『日本三大門』とか『水路閣がジブリ』とか色々言われてるけど、結局のところ、どこに立っても絵になって、どの方向を向いても写真が撮れる。

歴史が濃すぎて、正直、訪れる側の脳みそが薄味な事に気づいて凹むタイプの寺である。建築も庭も紅葉も、全てが『プロの美』で構成されてて、観光してるだけで人生が劣等感に染まる。でもその劣等感すら美しい、それが京都。

今回はそんな南禅寺を、紅葉に人生のすべてを賭けてる自称・京都マニアのなをとが、血眼で深掘りしていく。ついでに五右衛門にも勝手に感情移入していく。

さぁ地獄の釜の蓋を開ける季節がやってきたぞ。


【南禅寺の紹介】

南禅寺は、京都の左の方にある。いや、多分右ではない。とりあえず東山のどっか。地図見ろ。

観光でよく聞く『銀閣寺』とか『清水寺』の近くにあるから、まとめて攻略できるぞ!って言って全部回ろうとすると、もれなく体力が爆散するので注意な。京都は観光地が密集してるんじゃなくて、歩かされる量がバグってるだけだからな。

で、南禅寺の何が有名かっていうと

①石川五右衛門が絶景と叫んだ『三門』

「絶景かな!絶景かな!」ってアレ。多分当時インスタがあったら、五右衛門はここでストーリー上げて捕まってたと思う。三門っていうのは超巨大な門で、階段を登った先に絶景が広がってるんだけど、途中で膝が死ぬ。絶景を見る前に絶命しかける設計。

②アーチ状のレンガ『水路閣』

なんか急にジブリ。お寺にある建物のくせに、めちゃくちゃレンガ。京都の街並みに突然ヨーロッパ建築ぶっ込んでくる謎センス。でもここが一番映えるし、カップルも修学旅行生も全員ここで写真撮ってる。つまり、カメラ構えると背景が人間で埋まる。

③境内めっちゃ広い。そして紅葉すごい。

庭が美しい。木が赤い。空気が京都。歩いてるだけで、人生でやらかした全ての黒歴史が浄化される気がする(気のせい)。あと、敷地が無駄に広い。もはや寺というより、精神と時の部屋。紅葉の時期に行ったら、余裕で混む。でも行く価値はある。あと、紅葉と一緒に撮った自分の顔が微妙でも気にするな。紅葉が主役だ。

という感じで、観光地としては最強クラスの南禅寺。京都の『歴史』と『美』と『疲労』が全部詰まった、体感アトラクション。あなたもぜひ、絶景に叫びながら脚を攣ってきて下さい。


【南禅寺の歴史】

①創建はいつ?南禅寺のはじまり

時は鎌倉時代。なんか日本中がバチバチしてた頃。で、今回の主役は亀山天皇。この人、天皇やった後に出家して『亀山法皇』になったお方。

ある日の朝、法皇が目を覚ます。
「ふぅ…今日も一日する事がないな…」

そう、天皇を退位して出家したら暇なのだ。Netflixもない。Switchもない。じゃあ何する?

「そうだ、寺を建てよう」

って事で、1291年(正応4年)。京都の東山にあった離宮(天皇家の別荘)を『禅寺』にするという無茶を始める。
「俺の別荘、寺にしてみたら? めっちゃ落ち着くし」
これが南禅寺の始まり。

ここでポイントなのが『禅宗』ってとこ。当時の京都はまだ、真言宗とか天台宗がメジャーで、禅宗は中国(宋)から入ってきたばっかの新興宗教。なのに、元天皇がいきなり国のド真ん中に禅宗の寺を建てたもんだから、周囲はザワつく。

坊主A「おい法皇さん本気だぞ…」
坊主B「マジかようちの宗派、予算減るんじゃね?」

でも法皇は言った。
「いやいやちょっと瞑想してただけ。深く考えるな(ドヤ)」

その後、南禅寺は『五山十刹』の中でもトップ格の寺になる。つまり、全国の禅寺ランキングで堂々の殿堂入りで『五山の上』とまで言われるようになる。今で言うと『歴代ジャンプ漫画TOP5の上に君臨する鳥山明ポジ』って事だ。

という訳で、元天皇の「やる事ないから寺作るわ」っていうフワッとした思いつきが、京都の歴史を変える一手になるっていうありがちだけどスゲェ話。あの三門の下で写真撮ってるカップルたちも、まさか自分たちの足元に800年の皇族パワーが詰まってるとは思ってないだろう。

②南禅寺が「京都五山之上」となった理由とは?

とりあえず聞いてくれ。この『京都五山之上』って肩書き、言うなれば『殿堂入りした上に、もはやランキング対象外』ってレベル。

まず前提から。鎌倉時代後期〜室町時代にかけて、禅宗ブームが全国を席巻。で、当時の幕府が

将軍「寺多すぎて管理めんどい。格付けしようぜ」

って言い出した。そうやって生まれたのが『五山制度』

この制度、完全にトップダウン制。選ばれると、財政支援や人材派遣、国からのバフ(支援)がつく。つまり、坊主界のプロリーグである。

でもここで疑問。じゃあ、なぜ南禅寺は五山ランキングに入ってないのか?

答え「上すぎたから」

室町幕府三代将軍の足利義満が言ったんだよ。
「南禅寺?あそこは五山とかじゃねえ。もう『その上』だろ」
いやいや義満さん何を基準にしてんの。

この時点で、京都五山はこうなる。

  1. 天龍寺
  2. 相国寺
  3. 建仁寺
  4. 東福寺
  5. 万寿寺

で、その上に南禅寺が君臨。名前の表記まで変わって『京都五山之上』って札付けされる始末。もはや寺界のフリーザ様である。

ちなみに南禅寺の僧たちも、この格付けに若干困惑した。

僧A「えっじゃあうちら五山に入ってないって事?」
僧B「いやいや入れないレベルって意味らしいよ…」
僧C「つまり孤高の存在って事か…モテそうだな」

しかもこの時期、外交使節や貿易僧として優秀な人材を中国(明)に送り出すのが禅宗寺院の役割だったから、その管理を任される南禅寺は、まさに坊主界のハーバード大学みたいな扱い。

つまりまとめると、南禅寺は

  • 創建者が元天皇(亀山法皇)というド級のスタート
  • 幕府からの信頼と期待をガンガンに背負う
  • 宗教だけじゃなく、外交・政治の中枢に絡む万能プレイヤー

その結果『あそこはもう格付け不能』って結論に達した訳である。

うん、寺にしては厨二病が過ぎるわ。でもだからこそ、観光地としてもトップクラスの存在感があるんだよな。

③応仁の乱と南禅寺の被害

さて、ここからは南禅寺が最大の危機に直面したお話。

時は1467年。幕府内の後継争いやら、有力大名のメンツの張り合いやら、全員が全員『俺が一番強いんだよ選手権』を開催した結果

応仁の乱、勃発 !!

義政「わしの後継ぎどうする?」
管領A「うちの子でしょ」
管領B「いやうちの養子でしょ」
町人「どっちでも良いけどそろそろ米食わせて?」

こんな感じの空気が全国に飛び火し、京都は戦場と化す。で、その余波をモロに食らったのが南禅寺。

南禅寺「え?うち別に戦に関係ないけど…?」
足軽「そこに建物があるから燃やす!!」

という理屈で、伽藍(がらん)ほぼ全焼。僧侶たちは当然パニック。

僧A「このままじゃ本堂もやられる!」
僧B「水桶だ!いや水路閣まだ建ってねぇ!」
僧C「もはや念仏で鎮火できる気がしてきた…!」

…で、結果。南禅寺、灰になる。

ちなみにこのとき、南禅寺だけじゃなく、京都五山も天龍寺も建仁寺も全部やられてる。もはや火災フェス。

そして時は流れ、戦国時代へ。燃えたから終わりじゃないのが仏教のしぶとさ。南禅寺、再建プロジェクト始動!

【再建に名乗りを上げたのはこの人たち】

  • 豊臣秀吉(南禅寺の再建には興味ナシ)
  • 豊臣秀頼(やらされる)
  • 徳川家康(再建に理解あり)

特に家康の時代になると「禅宗は支配に都合が良い」って理由でお寺にお金回すようになる。南禅寺、ここでついに不死鳥のごとく蘇る。

復興に尽力したのは、禅宗の名僧たち。もはや彼ら、建築士かってくらい働いた。

僧A「次こそ燃えない本堂を!」
僧B「いや火災保険が先じゃね?」
僧C「てかまた焼かれたら俺もう辞めるからな!!」

ちなみに、水路閣(例のアーチ状のアレ)が作られるのは明治になってからなので、この頃はまだ影も形もない。でも、戦で焼かれても、政権が変わっても、南禅寺はちゃんと復活してる。

つまりこう『歴史ある寺』とは、燃えても立ち上がる者である!

現代の俺たちが南禅寺の紅葉を見ながらインスタで『#映え』とか言ってる裏には、ガチで焼けて立て直して戦ってきた歴史があるんだから、せめて本堂くらい真面目に見学しようぜ…あとできれば、階段はもう増やすな。

④歴史の中で登場した著名人物たち

南禅寺ってのはただの観光名所じゃない。紅葉が綺麗?水路閣が映える?いやいや、ここは…偉人たちの通り道。歴史の交差点。

まず出てくるのがこの人。

❶一休宗純(いっきゅうそうじゅん)

あの『一休さん』だよ。とんちでおなじみ。だけど実際の一休さんは、テレビアニメとは違って

  • 僧侶のくせに酒好き
  • 坊さんのくせに女好き
  • とんちよりも毒舌

つまりほぼ俺。

一休「戒律?そんなもん破ってなんぼじゃ」
寺の人「は…はい…(何この人怖い)」
一休「仏も生臭もみんなまとめて悟ったらええんや」

こんなテンションで、南禅寺の腐敗した僧たちに喝を入れて回ってたらしい。

でもそれくらい当時の南禅寺は、ちょっと腐りかけてた。天皇の寺という特別扱いで慢心してたら、仏教モンスターの一休さんにボコられる。その後、ちゃんと禅宗の自浄作用が働くようになる。つまり、一休さんは禅界のバグ修正パッチだった訳。

❷細川幽斎(ほそかわゆうさい)

この人、室町〜安土桃山時代の武将。戦もやるし、和歌も詠むし、茶も点てるし、ついでに南禅寺ともズブズブ。

ある日、幽斎が南禅寺でお茶を飲んでいた。

幽斎「うむ、この静寂…禅と茶は似ておる」
「ははっ(この人、刀持ってんのに雅すぎんだろ)」
幽斎「ワビサビを極めし者が戦場でも勝つのじゃ」

つまりこの人、文化系に見せかけてガチ武闘派。

南禅寺はそういう文化人の『たまり場』でもあったんだよ。幽斎以外にも、狩野派の絵師たちや、江戸時代の文人たちが頻繁に出入りしてた。南禅寺に集まった著名人たちは

  • 仏教界の異端児(一休)
  • 戦国の文系代表(幽斎)
  • 絵師、茶人、狂歌師まで

とにかくキャラが濃い。

現代の俺らが「禅って静かで尊いよね〜」とか言ってる間に、昔の人たちはこの寺で

坊さんと喧嘩し、詩を詠み、茶を点て、政治を語り、建物を燃やし(応仁の乱)、でもまた立て直して、今に残した。

「いや南禅寺さんどんだけ歴史抱えてんの?重くない?」ってツッコミたくなるレベルだけど、だからこそ行く価値がある。

⑤石川五右衛門と南禅寺三門の伝説

南禅寺の三門(さんもん)って知ってるか?紅葉の季節になるとカメラ構えてる人間の密度がサバの缶詰になるあそこだ。

でもな、ただの観光スポットじゃない。あれは、伝説のドヤ顔ステージ。というのも、この三門には

絶景かな絶景かな!春の眺めは価千金とは小さなり!」

という、超有名な台詞が残されてる。言ったのは天下の大泥棒、石川五右衛門

❶五右衛門の勝手に絶景レビュー

舞台は歌舞伎『楼門五三桐(さんもん ごさんの きり)』五右衛門が三門の上から景色を見下ろし、盗賊とは思えんほど優雅にドヤってる。

五右衛門「絶景かな絶景かなぁ〜」
観客「おぉぉお〜!」
五右衛門「春の眺めは価千金とは小せぇな。俺に言わせりゃ万両ってとこよ」

もはや景色に値段つけてる。不動産屋か。

ちなみにこのシーン、実際の歴史には存在しない。五右衛門が南禅寺に登ったという記録も、残ってない…が!あまりにもインパクトがありすぎて『南禅寺=五右衛門の名台詞』ってイメージが定着した。

これ、現代で例えるとこう

観光客「この階段あの五右衛門が登った場所なんだよ〜」
歴史好き「いや創作だよ」
観光客「いいの夢だから」

こんな感じで、嘘から出た名物になった訳。

❷三門の正式な意味とは?

この三門、実は禅宗の寺では重要なシンボルで『空・無相・無願』という3つの解脱の門を意味してる。つまり仏教界的には本気なヤツ。

僧侶「ここは俗世と悟りの境界だ。真理の象徴だ」
石川五右衛門「ここ絶景じゃね?」

このギャップよ。仏の道vsドロボーの道。

でも、それがまた良いんだよ。高尚な歴史に庶民のセンスが入り込む。これぞ南禅寺。これぞ日本のエンタメ。

❸結末がまたやばい

ちなみにこの石川五右衛門、最終的には『釜茹での刑』で処刑されるんだけど、その最期すらも芝居にされて、江戸庶民にめちゃくちゃウケてた。

民衆「五右衛門かっけぇ!」
幕府「いや犯罪者なんだけど…」

この温度差もまた、歴史の面白さ。

南禅寺の三門は禅の象徴だが、五右衛門の台詞でエンタメ化され、観光客の脳内では完全に『名セリフの舞台』になってる。つまり、南禅寺の三門とは、仏とドロボーのコラボによる、最強の観光コンテンツなのだ。くれぐれも三門の上から「絶景かな」とか叫ばないように。怒られるからな。

⑥江戸〜明治の変遷と現在の保存状態

南禅寺の人生、平坦じゃなかった。いや、人生って言うか寺生?もういいや。とにかく、あの寺は平穏そうな顔して、裏じゃガッツリ時代の荒波に揉まれてる。

❶[江戸時代]割と平和、でもジリ貧モード突入

江戸時代に入ると、戦乱は落ち着いて「よっしゃ、ついに落ち着いて修行できるやん!」と僧侶たちは思ったかもしれないが

僧侶A「なんか領地、年々減ってません?」
僧侶B「いや〜なんか寺領って今はもう幕府のお情けでしかないらしいよ」

そう、幕府による寺領縮小が地味に効いてくる。

「戦争が無いと今度は金が無くなるんですけど…」

っていう『どっちに転んでも地獄』みたいな展開。この時代の僧侶たち、マジで忍耐強かったと思う。

❷[明治時代]来ました『廃仏毀釈』という地獄モード

そして時代は明治。

政府「神道こそ国教!寺?仏像?仏具?燃やしてよし!」

この勢いで、日本全国に仏教界ジェノサイドが巻き起こる。

南禅寺も当然ターゲットに。あの由緒正しき建物が、危うく「燃えろ!禅宗ファイヤー!」ってなるところだった。

僧侶「仏像?石仏?天井画?いや全部燃やすのはさすがに正気か?」
明治政府「全部じゃないよ。なるべく燃やすだけ」

このやる気満々なのに優しさゼロみたいな態度、逆にすごい。

❸南禅寺、ここで終わらず

それでも、南禅寺は不屈だった。仏像を隠したり、檀家と団結したり、地元住民の協力が熱かった。

村人「うちの裏に仏像置いとくからバレたら俺が焼かれるけどええよ」
僧侶「涙出るわ…でもありがとう」

こんなドラマが、全国で実際にあったという事実。現代人、マジでこの熱さ思い出して?

❹近代の文化財指定でついに報われる

時は流れて大正・昭和。やっと日本が「あっ仏像って文化財じゃね?」と気付く。

文化庁「この建築すごいな。重要文化財にしとこっか」
南禅寺「…遅ぇよ!」

思わずツッコミたくなるくらい遅い評価。でも、ここからが巻き返し。

三門も方丈庭園も、次々と国の文化財に登録。世界中の観光客が南禅寺に詰めかけて「インスタ映え!」とか言ってる今がある。江戸時代はジワジワ寺領が減って、明治時代はガッツリ仏教リストラ、でも住民の支えと僧侶の執念で生き延びて、最終的には国宝・重要文化財に。

つまり、仏教界のど根性ストーリー、それが南禅寺。仏も人も、焼かれても立ち上がる。それが京都、それが南禅寺なんです。


【その他の観光スポット紹介】

読者の皆様、いや、南禅寺ファンの皆様、そして京都観光界隈の皆様、申し訳ございませんでしたぁぁああ!!!

いやね、最初に言い訳させてもらって良いっすか?南禅寺の拝観料が高いんすよ。それなのに財布の中には千円札すらなくて、ポケットの中から出てきたのは、レシートと謎のボタンだけ。

拝観受付のお姉さん「大人おひとり600円です」
「すいませんあの…なんか..…(目そらし)」
お姉さん「(無)」

そんなわけで

  • 庭園も見てません
  • 南禅院もスルーです
  • 水路閣にも、ちょっとだけ行って帰ってきました(ちょっとかよ)

撮ったのは紅葉の写真と門の写真だけ(ずっと使ってるやつ)。それをなぜかインスタでもブログでも死ぬほど擦ってます。この紅葉すげぇって言ってるけど、毎年同じやつ使ってます。スマホのアルバムで『南禅寺』って検索したら出てくる画像、全部同じ日。

つまり、南禅寺に来てやった事といえば

  • 紅葉を見る
  • 門の前で写真撮る
  • 散歩して帰る

この3つだけです。本当にありがとうございました。

読者のあなたがこう思っているのは知っています。「お前何も情報ないのになんで記事にしたんだよ」言ってくれて構いません。その通りです。でも、これは記事じゃない、懺悔です。

こんな体たらくでよくここまで筆を進めたなと自分でも思う。でも、伝えたい気持ちだけはあるんです。南禅寺は良い所です。拝観料は払って入るべきです。

ちゃんとした観光情報は、他のちゃんと行った人のブログで読んでください。


【南禅寺のアクセス情報】

①営業時間

区分時間
3月〜11月8:40〜17:00
12月〜2月8:40〜16:30
受付終了閉門の20分前まで

②入場料

区分一般料金
方丈庭園大人600円/高校生500円/小中学生400円
南禅院大人400円/高校生350円/小中学生250円
三門(展望可)大人600円/高校生500円/小中学生400円

③アクセス手段一覧

手段出発地・駅名/バス停所要時間目安料金
電車地下鉄東西線[蹴上駅]徒歩約10分
バス市バス[南禅寺/永観堂道]下車徒歩約10分230円(均一)
タクシー京都駅から約20分約1,800円〜2,000円
名神高速[京都東IC]から約20分近隣コインPあり(30分200〜300円目安)

アクセス情報は結構ガバガバなので、公式ホームページからもチェックよろしくお願いします。[南禅寺の公式ホームページ]


【実際に行ってみた】

歩いた。ひたすら歩いた。南禅寺の門の前を。で、引き返した。

だってさぁ、拝観料、高ぇんだよ。庭園が600円、三門が600円、南禅院が400円。合計1,600円。いやちょっと待って、それなら近所のスーパーで3日生きられるじゃねぇか。

いやもちろんわかってる。文化財だよ?維持費もかかるし、管理も大変だし、歴史的価値もあるさ。でもさ、旅人の財布にも歴史が刻まれてるんだよ。特に『平成の不況』『令和の物価上昇』っていう深い傷がな。

結果的に、拝観料を払う勇気が出なくて、紅葉だけ見て帰りました。多分あの紅葉も門の外から見た奴です。多分どこかのインスタで見たのと同じ角度で撮ってます。なんなら、この文章すらどこかで聞いたようなノリで書いてます。自分で書いててすらデジャヴ。

『観光』という名の散歩。
『体験』という名の節約。
『記事』という名の言い訳。
いや〜文化って難しい。

財布は守った。俺の中の信念も守った。でも、帰り道で「なんで来たんだっけ?」って自問自答した。

そういう場所、それが南禅寺。


【最後に】

南禅寺、良かったよ。うん、良かった…って言っておかないと、なんか自分が惨めじゃん?

歴史も深いし、紅葉も綺麗だったし、門の造形もすごかったし、なにより『行った』っていう事実が俺の中に刻まれた。入ってないけど。払ってないけど。でも、心の中では誰よりも拝観してたから。エア拝観。想像力の勝利。

財布は軽く、心も軽くなった帰り道。途中でジュース買ったら小銭も消えた。でもそれでも、俺は『観光した男』として帰路についた。南禅寺、良かったよ。多分。あの門の前で立ち尽くしてる俺の写真を見たら、誰だってそう思うさ。

という事で、京都の南禅寺は歴史も風情もありすぎて、財布が薄い人間は門の外からでも十分楽しめます(って思いたい)。そして俺はこうして記事を書き上げた。結局、人間って『来た事ある感』出せば大体なんとかなる。

ありがとう南禅寺。
ありがとう紅葉。
ありがとう三門。
ありがとう…エア拝観。

心の中は今、すごく満たされてる…という事にして、この話はここで終わりです。

ハッピーエンド。強制終了。完。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です