【なをとの移住生活記/文化編】時間の概念をぶっ壊して自分に合わせた生き方ができる『うちなータイム』とは?沖縄県民の価値観に隠された『ゆるさ』の理由を深掘りしてみた。

うちなータイム。初めて聞いた時、俺は思いました。「あぁ、またゆとり教育が生んだ新種の言い訳か」と。でも違った。これはただの遅刻とか、やる気がないとか、そんな安っぽい言葉で説明しちゃいけない文化爆弾でした。

予定は未定。開始時間は目安。「今向かってる」はだいたい家出る10秒前。なのに、誰も怒らないし、誰も詰めない。むしろ「遅れても元気ならOK」っていう奇跡の国がそこにある。

移住してからというもの、俺は時計を見ることをやめました。予定を守れなくなったのではない。予定が俺を守らなくなったのだ。

本記事では、この沖縄特有のゆるやかなる時間泥棒=うちなータイムについて、その成り立ち、文化的背景、沖縄県民の価値観と合わせて、ガチで深掘りして叩き起こしてみたいと思います。

そして最後には、きっとあなたも言ってしまうことでしょう。「まぁ、いっか」ってな。


【うちなータイムとは?】

①定義と本土との違い

「うちなータイム」とは、時間にルーズであることに全力で正当性を持たせた沖縄の時空魔法である。

「13時集合ね〜」と言われても、実際に人が揃うのは14時過ぎ。それに対して「遅いぞ!」と言ったら怒られるのは、なぜか時間を守った側のほう。理不尽?いいや、これは文化であり、哲学だ。

本土の常識では『時間=信頼の証』

でも沖縄では『時間=目安』で信頼は笑顔で証明。予定は未定、未来は天気次第。

特に内地の秒単位で動く人種からしたら、この時間の概念のふわふわ感に最初はイライラするかもしれない。でもそれこそが罠だ。時間に縛られてる自分こそ、不自由だということに気づくまでがデフォルト。

つまり、うちなータイムとは「時間なんて人間が作った都合だろ?もっと大事なもん見ろ」っていう沖縄の哲学。

②実際にどんな場面で現れるのか

集合時間
「10時集合ね〜」→10時に着いたら自分しかいない。
だが誰も謝らない。全員が「まだ来てないだけ」と受け入れる。

イベント開始時間
開始予定:18時
実際に始まる:18時45分
司会「はいさ〜い、ちょっと遅れましたが始めましょうね〜」←普通に言う

バスの発車時間
発車時刻の3分前にバスが行ってしまう。
理由?運転手がもう乗る人いないと思ったから。信じるな時刻表、信じろ勘。

飲み会
一時間遅れてくるやつ、2時間後に現れるやつ、店を間違えるやつ。
でも全員「はいさーい!」って乾杯して終わり。それでいい。

うちなータイムとは、遅刻という罪を文化で包み込んだ沖縄最大の免罪符。

でも不思議なことに、そんな場所だからこそ、誰もピリピリしないし、人間関係もやたら長続きするし、時計よりも人を見て生きてる。だから俺はもう、時間を守らなくなった。じゃなくて時間に縛られるのをやめたんだ。


【起源】

①沖縄の歴史的背景(島時間と独自性)

まず前提な。うちなータイムは『遅刻』じゃない。それは『生き方そのもの』なんだよ。

沖縄はかつて独立国家『琉球王国』だった。本土とは別文化、別言語、別政体。貿易も盛んで、中国や東南アジアとの交流も長い。つまり『時間は正確に守るもの』という本土的な価値観とは、文明の段階からズレてる。

じゃあその王国の人々、どうやって時間を見てたか?

「太陽がここまで来たら出発する」
「月がこの辺に来たら寝る」

それで何百年も上手くいってた。つまり『時間』ってのは『分単位で縛る鎖』じゃなくて『自然と体感で感じるもの』だった。

しかもだ。この感覚的な時間が、社会的に許容されてきたのがすごい。
船の出港も「風が吹かないからまた今度」
集会も「なんか台風来そうだから中止」
自然に従う=神に従う。遅れるのは天命。誰も責めない。

これが琉球の精神文化。で、それがそのまま今に残ってる。それがうちなータイム。

②暑さとゆるさの関係性(気候的理由)

気温と文化の関係。ナメたらいかん。夏が暑すぎると「運動したら死ぬ」ってなる。でも沖縄の暑さは『蒸す』より『照る』タイプで、しかも年中これ。

「この気温で、時間通り動けって無理だろ」
「焦ったら倒れるわ。死に急いでどうする」

結果どうなるか?

『急がない』が生存戦略になる。

しかも、夏が長い=時間が長い=「そんな急がなくてもあとでまたできるだろ」という思考が染みつく。

さらに台風が来るたびに予定は消し飛ぶ。イベント延期、出勤中止、学校休校。予定=未定が生活の中に組み込まれてる。

これで時間に厳しくなれると思う?無理だよ。身体が拒否する。人間は自然には勝てない。だから自然に合わせて、ゆるく生きるしかない。

それが気候的理由。

③急がないことが美徳という価値観

本土の価値観=「遅刻はダメ!社会の迷惑!」
沖縄の価値観=「そんなに急いでどこ行くの?」

もうこの時点で正義が違う。沖縄では、せっかちはむしろ『人にストレスを与える存在』として見られることすらある。

実際にはこんな話がある。

「あの人、いつも時間通りで逆に怖いよね」
「仕事早すぎて、みんなペース崩れるから迷惑」

…え?まじで?うん、本気で言ってた。沖縄では『周囲と調和を取る』事が最上の美徳。自分のペースで動く人より、空気読んでみんなに合わせる人の方が評価される。だから「みんな遅れるなら自分も遅れる」は協調性なの。

そして忘れちゃいけない。

「時間を守ることが正義」って誰が決めたの?
「守って得られるものがあるなら、それでいいけど?」
「でも沖縄では、守らないことで守れる空気がある」

つまり、急がない事こそが『沖縄的優しさ』であり、美徳なんだよ。


【体験談】

①出勤時間退勤時間はちゃんと守るけどプライベートは野生に還る

何がクソって、仕事中は秒単位で真面目なのに、プライベートになると時空が溶ける。さっきまで働いてた人類とは思えないほど、野生に還る。

「ランチ11時集合ね!」→11:30集合(やる気はある)
「映画13:00からだよ!」→13:05に到着(え?何か問題でも?)

なぜ急に猿になる。

②普通にウソつく

LINEで「今から家出る」は「今起きた」という意味。
「もうすぐ着く」は「今家出た」という意味。

Google翻訳でも無理な沖縄語の魔術。LINEを信用する者はバカ。

「今から家出るわ〜」→その3分後に「シャワー浴びてくるね〜」
「もうすぐ着く!」→そこからコンビニ→寄り道→信号3つ無視して30分後到着。

こっちは時計見ながらソワソワしてるのに、あっちはクーラー効かせてアイス食ってるからな。

③集合時間通りに着いたのに「早い」と言われた

意味がわからん。俺の時計がバグってんのか?

12:00集合→12:00着→「えっ早っw」
12:15になっても誰もいない。
12:30にLINEで「今出るね〜!」
「遅い」じゃなくて「早い」って言われる国、それが沖縄。

時間守る奴がむしろ空気読めない奴になるという、逆転裁判がここで開廷。

④むしろ来ない奴もいる

来ないとかじゃない。来るという概念がない。
『集まる』っていうのが『全員来る』じゃない。
来たい奴が、来たい時間に、来る。

そして誰も責めない。

「〇〇来てないじゃん」
「うん、多分今日は来ないよ〜」

それで終わり。全員ノーダメ。罪の意識ゼロ。


【最後に】

最初はキレた。時間にルーズな奴らに、LINEの嘘に『今向かってる詐欺』に、何度殺意を抱いたか知れない。「集合時間は命の約束だろうが!」と叫びたかった。ていうか叫んだ。6回ぐらい。

でも気づいたんだ。ここは沖縄。時間に追われるために生きてる訳じゃない。こっちが『合わせよう』としなきゃいけない世界なんじゃなくて『自分に合った時間』で生きて良いって世界だったんだ。時間を守らないんじゃない『時間に縛られない』んだよ。

時計を見て焦る生活より、太陽の動きと腹時計で生きる方が、多分、人間として正しいんだろうな。という訳で、俺は今日も「今向かってる」と言いながら寝てます。ありがとう沖縄。俺の人生、3時間遅れで絶好調です。

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