タイと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、ゾウとトゥクトゥクとトムヤムクンだろ?いや偏見すぎるわって自分でも思うけど、旅行前の俺の頭の中なんてそんなもんだった。実際にタイに行ってみると、街はカオスで料理は辛すぎて胃腸クラッシュ寸前。それでも観光地はやたらとインパクト重視。で、その極みが今回紹介するパタヤの『サンクチュアリーオブトゥルース』
『永遠に完成しない木造寺院』とかいう中二病丸出しのキャッチコピーに釣られて行ってみたら、本当に完成してない。しかも職人さんたちが延々とノコギリとノミを振るってて、もうここは寺というより休憩許されない現場って感じ。観光地に来たはずなのに、ブラック企業の視察に来た気分になった。
木材オンリーでド派手に建てようとした結果、設計した奴は確実にインパクト重視で後のこと考えてないタイプ。だけど、目の前に現れる巨大な木造建築は確かに圧巻で、インスタ映えは余裕でクリア。観光客は「わー綺麗!」って叫んでるけど、現場の大工さんは「もう勘弁してくれ」って心で叫んでるに違いない。
という訳で今回は、タイの名産品の一つ『無茶振り建築』をご紹介します。

サンクチュアリーオブトゥルースとは?
はい出ました、永遠に完成しない寺院。名前からして重々しい感じだけど、実際はずっと工事中のテーマパークって言った方が早い。
場所はタイ・パタヤの海沿い。観光ガイドブックには『高さ105mの巨大木造建築』なんて立派に書いてあるけど、現場を見た第一印象は木の山に龍とか仏像が無理やり突っ込まれてる。まるでRPGのラストダンジョンを急ピッチで作ってる途中を公開してる感じだな。
要は、全部木で作られた『謎の城』で、中に入ると彫刻がゴリゴリ施されてる。しかも『宗教施設』っていうより『職人の精神と体力を削り続ける現場』だ。観光客は「美しい〜!」って写真を撮るけど、大工さんは「休憩時間どこ行った?」って目をしてる。
そして一番肝心なポイントは『完成予定=未定』ってとこ。これほど適当なスケジュール管理をする現場は、日本の建設会社が見たら失神する。
まとめるとサンクチュアリーオブトゥルースとは、タイ人が本気を出してファンタジー建築を木だけで作ったけど永遠に完成しない予定の観光スポットである。

歴史
建設が始まった背景
1981年。日本はまだバブルを仕込んで踊り狂う準備をしてた頃、タイの大富豪『レック・ヴィリヤパン』氏が唐突にこう言ったんだ。
「木だけで作ったひとつの建物に宗教と哲学をぶち込みてぇ」
「それ実際に言ったの?」って思うだろ。資料的には「宗教的な理想と哲学を形にしたい」という高尚な動機だったらしい。でも裏の翻訳にかけると「俺の財力と権力を全力で見せつけてやる」って腹の声が聞こえる。
つまりこのプロジェクト、最初から『金持ちの無茶振り』と『信仰心』の二刀流だった訳だ。結果、出来上がったのが全高105mの木造ゴジラ建築。
ただし問題は、完成予定は未定。発案から40年以上経った今も「いやいやまだ終わらせねぇよ?」と延々工事を続けている。大富豪の『宗教と哲学を形に』っていう理想は、現場の大工さんにとっては「休憩を形にしてくれ」って切実な祈りに変わってる。
要約するとサンクチュアリーオブトゥルースの建設は『宗教と哲学を融合させようとした金持ちの思いつき』が、タイの海沿いに完成しない観光スポットを生み出した瞬間だったのだ。
宗教と哲学のテーマ
サンクチュアリーオブトゥルースの中身をざっくり言うと、東洋思想フルコース全部盛り。
まず仏教。釈迦様のありがたいエピソードを木彫りでゴリゴリ再現。次にヒンドゥー教。シヴァ神やらガネーシャやら「俺たちも呼ばれたから来たぜ」感で鎮座。さらに道教まで参戦して、八仙人や陰陽の思想をさりげなく混ぜ込む。結果、境内はまるで宗教の合コン状態。
大富豪のコンセプトはシンプルで無茶ぶりだ。「東洋の思想を建物で表現しよう」…待て。思想を『文字』や『経典』で表現するなら分かる。だけどコイツらは『建物』で表現しようとした。結果、木材で作った哲学アベンジャーズ本拠地が出来上がった訳だ。
要は『仏教の慈悲/ヒンドゥーの宇宙観/道教の自然との調和』などを一つの木造パビリオンにブチ込んだ結果、訪れる観光客が「どこを見れば正解なんだ?」って迷子になるテーマパークが完成。まだ完成してないんだけどな。
一言でまとめると、サンクチュアリーオブトゥルースは『宗教と哲学の詰め合わせ弁当』だ。しかも消費期限が来ないどころか、調理が永遠に終わらない地獄弁当だ。
完成予定と現実
サンクチュアリーオブトゥルースの最大のツッコミどころ。それは『完成予定』って単語が永遠に未来進行形だって事だ。
建設がスタートしたのは1981年。計画では「数十年かけて立派な寺院を完成させるんだ!」って言ってたんだけど…40年以上経った今も、完成する気配ゼロ。むしろ完成しない事で観光地としての個性を確立しているあたり、世界史に残る言い訳の正当化案件だ。
職人さんたちは今日も木を削って彫って組み上げてる。観光客はその横で「まだ工事中なの?」って驚いてる。でも日本語パンフレットは胸を張って「完成しないのも含めて完成です!」ってドヤ顔。いや完成しないのに完成って言い切るとか哲学が強すぎるだろ。
つまり、この寺院の本質は『終わらない建築=終わらない祈り』ある意味でカオス、ある意味でロマン。完成してしまったらテーマを失うから、未完成こそが完成。
一言でまとめると、サンクチュアリーオブトゥルースは『完成予定は永遠、完成形は未完成』という禅問答みたいな建築物。観光に来た人は「まだ作ってるのか!」と驚き、職人は「まだ作らせてくれるのか!」と喜ぶ。全員が幸せなら、それが完成なのかもしれない。

木造建築の狂気
全部木材で作られている
サンクチュアリーオブトゥルースの恐ろしい所は『高さ100m級の巨大建築物を全部木で作った』って事だ。これ、普通に考えたら「いや燃えるやん」ってツッコミで終わるんだけど、タイの大富豪はそんな生半可な常識を粉砕して「木でやれ!釘なんかいらん!」と命じたらしい。
釘を使わない狂気の木組み
寺院を支えるのは鉄骨でもコンクリートでもなく、昔ながらの木組み技術。つまり職人がチマチマと木を削っては組み合わせ、摩擦と重力と祈りだけで建物を立たせてる。これを聞いた瞬間、観光客は「ジェンガ?」って思う。
高さ100m全部木造という無茶ぶり
しかも規模がエグい。塔の高さは約100メートル。普通の木造建築が『お寺や神社で高さ10m-20m』とかの世界なのに、その5倍。つまり「もし地震が来たらどうする?」とか「台風来たらどうする?」とか「火事来たら一瞬でBBQじゃね?」という突っ込みが止まらないレベルの狂気。
でも現地の人は「いやいや、木は呼吸するし強いんだよ」と胸を張る。観光客は「いや呼吸するなら火も吸うだろ」と心で突っ込む。
要するにこの寺は、職人魂と宗教心がタッグを組んで常識を葬り去ったモンスター建築。一見すると危ういけど、40年以上も倒れずに観光客を迎え続けてるから、やっぱり木の力と信仰の力は侮れないって訳だ。
彫刻地獄
サンクチュアリーオブトゥルースを見上げると、まず観光客は「うわぁ…木でこんなに掘ったんか…」と絶望する。外壁から内部の天井まで、どこを見てもびっしり木彫りの装飾。普通なら「ここにワンポイントで龍を彫っとこう」で終わる所を、この寺は「お前んちの壁紙か?」ってくらい全部木彫り。やり過ぎにも程がある。
外壁も内部も『木の辞書』状態
壁一面に神様、仏様、龍、象、花、雲、意味深な模様…ありとあらゆる宗教と哲学のシンボルが全部木で彫られてる。観光客は「これ何の神様?」と聞いても、案内人が「全部だよ」としか答えられない。つまり宗教混ぜすぎカレーの結果、壁が木の辞書状態になった。
職人の無限労働ループ
しかもこれ、まだ完成してない。職人たちは毎日ノミとカンナを持って『木を掘る→木屑が出る→掃除→また掘る』を繰り返す。彼らの人生は『木彫り地獄オンライン』にログインしっぱなし状態。観光客がスマホで「映え〜!」と写真撮ってる横で、職人は汗だくで木を彫ってる。寺全体がテーマパークじゃなくて『職場見学ツアー』にしか見えない。
終わらない地獄=観光資源
普通なら「完成したら見に行こう」ってなるけど、この寺は逆で「完成しないから今が見頃」に。永遠に終わらない木彫り工事こそ観光資源。観光客は「まだやってる!」と驚き、職人は「まだ観光客来てる!」と疲弊する。需要と供給が地獄で一致してる訳だ。
世界観はファンタジー
サンクチュアリーオブトゥルースを歩いていると「あれ?異世界転生した?」と錯覚する世界観にブチ当たる。木で彫られた神々、動物、伝説の怪物たちが四方八方からこっちを見てくる。普通の寺なら『阿弥陀如来』とか『観音様』で済むのに、この寺は「龍!象!天女!ガルーダ!見たことない奴!」っていうフルメンバー。テーマが『宗教』というより『ファンタジーRPG』に近い。
神々と動物が暴れてる
壁を見れば神がバトルしてるし、天井を見れば鳥人間が舞ってるし、柱を見れば象がドヤ顔してる。Google翻訳で「これは何の神ですか?」とガイドに聞くと「全部です」と即答されるレベルで詰め込まれてる。要は宗教図鑑オールスター状態。
ラスボス城感がすごい
塔のシルエット、100m級の高さ、彫刻で埋め尽くされた外壁、遠目から見ると完全にRPGのラスボス城。この中に封印されし魔王がいると言われても信じちゃう。観光客は祈るよりも先に「セーブポイントどこ?」って探す羽目になる。
ファンタジー+現実=カオス
本来は『宗教と哲学を融合した神聖な建築物』なのに、完成形は『タイ製ドラクエのダンジョン』だった。しかも未完成だから、今も職人が魔法使い、よろしく木を掘り続けてる。宗教建築なのに世界観はファンタジー、そして観光客にとっては『現実逃避』の場。まさにカオスの三重奏。

永遠に完成しない理由
彫刻の数が膨大すぎる
サンクチュアリーオブトゥルースが『永遠に完成しない』って言われる一番の理由は彫刻の数がバチクソに多すぎるから。観光客が「これ全部木で彫るんか?正気か?」って口を揃えて言うレベル。
彫っても彫っても終わらない
外壁も内壁も柱も天井も、さらには階段の手すりまで全部木彫り。まるで『職人を人力プリンター扱い』してるみたいに延々と彫らされてる。しかも1mmでも気を抜けば神様の顔が『バグった仏像』になるから気が抜けない。結果、完成どころか『常に工事中』がデフォルト。
新しい職人が入っても進まない
「人を増やせば早く終わるだろ?」って思うじゃん?いや違う。新しい職人が入っても、まず修行期間で何年も木くずまみれになって「次は龍の鱗10年コースね」ってなる。つまり新人は即戦力にならず、完成は遠のく一方。追加人員は完成速度アップじゃなくて、ただの終わらない地獄の参加者が増えるだけ。
完成どころか文化財化
結局『完成しない』って状態が逆にブランドになってる。観光客は「まだ作ってんのかよ!」ってツッコみに来るし、地元民も「完成しないのも含めて完成」っていう名言を残して納得してる。もう完成を目指すんじゃなくて未完成を観光資源にするって方向にシフトしてるのが現状。
木材の劣化と修復
サンクチュアリーオブトゥルースの建築は、ただ『彫刻が終わらない』だけじゃなくて、木材が劣化するから修復も同時進行という地獄の二重ループがある。
完成前に劣化が始まる
1981年から作ってるんだから、もう40年以上。そりゃあ木も人も寿命が来る。釘を使わない木組みだからカッコ良いけど、湿気やシロアリからすると「ご馳走はここです!」って招待状みたいなもん。結果、まだ完成してないのに『修復班』がすでに常駐。未来永劫、修理と建築が同じスピードで進んで、ゴールが霞んでいく。
職人がゴールのないマラソン状態
現場の職人さんにとっては『修復→建築→修復』のループ。まるでマラソン走らされながら「ゴールは蜃気楼の向こうっす」って言われてる状態。しかも観光客はその姿を見て「おぉ〜!まだ作ってる!すげぇ!」って感動する。いや感動じゃねぇよ職人は泣いてんだよ。
永遠に働ける職場(地獄)
企業的に言えば『絶対に失業しない職場』っていう最高の安定感。でも職人からすれば「お前いつ休ませてくれんねん」って心境。サンクチュアリーオブトゥルースは、観光資源であると同時に木材と人間をすり減らすブラック寺院として今日も健在。
観光資源として『未完成』が武器に
サンクチュアリーオブトゥルースは、完成してないのに世界中から観光客を呼び寄せる。いやむしろ『未完成だからこそ観光客が来る』という皮肉の極みみたいな仕組みが成立してる。
永遠に工事中=観光客ホイホイ
普通の寺や建物は「完成したから観に来てね」ってスタンス。でもここは逆で「まだ作ってるよ!進捗率?知らん!」っていう状態を観光に転換。観光客は「えっまだ彫ってるの?スゲェ」ってなるし、二度目に行っても「前回よりちょっと進んでる!」って新鮮さを味わえる。まるで永遠の連載マンガ。
完成しない=ずっと稼げるシステム
皮肉な話、完成しちゃったら「はい終わり」になる。でも未完成である限り『進行形』という物語が続く。観光客は完成品を見に行ってるんじゃなくて『完成に近づくプロセス』を見に行ってる。だからこの寺は、建築というより『終わらないライブ配信』みたいな存在。
ブラックジョークな真実
つまり、サンクチュアリーオブトゥルースは『完成しない事』によって、経済的に完成している。職人たちにとっては地獄のループでも、観光的には最高のサブスクモデル。未完成こそ完成という哲学を体現した世界一皮肉な観光資源だ。

アクセス情報
住所
名称 | 地図 |
---|---|
サンクチュアリーオブトゥルース | Googleマップ |
営業時間
区分 | チケット販売 | 見学(ツアー)時間 |
---|---|---|
デイ(Day) | 8:00-17:00 | 8:20-18:00 |
ナイト(Night) | 17:30-19:30 | 18:20-20:30 |
入場料
区分 | 料金 |
---|---|
大人(Day) | 500THB |
大人(Night) | 700THB |
子ども[110-140cm](Day) | 250THB |
子ども[110-140cm](Night) | 350THB |
110cm未満 | 無料 |
交通手段
手段 | 所要時間 | 目安料金 |
---|---|---|
GRUBタクシー | 約1時間45分-2時間30分 | 約1,200-3,000THB(片道) |
実際に行ってみた
実物が凄すぎる
写真で見た時点で「おいおいまたインスタ映え詐欺か?」と内心ツッコミ入れてたんですよ。ピンク寺院にドラゴン巻き付けるレベルで『SNSで拡散されたい欲』が出すぎてるんじゃねぇかと。でもな、現物を肉眼で見た瞬間に俺の脳が真っ白になった。
高さ100m級の木造建築が、釘も使わずにゴリゴリ組み上がってんのよ。しかも外壁から内部まで全部びっしり木彫り。これ人間の仕業じゃなくて夜な夜な木霊たちが彫ってんだろ。
つまり何が言いたいかっていうと『インスタ映え狙い』とかそういう次元じゃねぇんだよ。もう『異世界転生後に最初に訪れる神殿』くらいの迫力。行ったら最後、心臓に永久保存される。
グループで寺院を観るシステム
サンクチュアリーオブトゥルースは「はいっ集まって下さーい」って感じで、数十人の観光客団体にブチ込まれてガイドさん付きで回るシステムなんすよ。入場前にガイドさんがマイク持って、壮大な説明(予想)してるんだけど、言葉がわからない俺の耳にはずっと犬の鳴き声にしか聞こえなかった。
しかも最初の10分くらいは「みんなで一緒に回るんだな」って安心してたら、気づけば団体が散り散りになってて残ったの俺ひとり。「え?俺グループからリストラされた?まだ序盤だぞ?」孤独なソロツアー突入ですよ。
もうね、寺院の説明どころか「俺ここで迷子になって死ぬんじゃねぇか」って不安しかなかった。まぁ結局、ガイド無視して勝手に彫刻眺めてたら「あっこれソロの方が楽しいな」って悟ったんだけど。
つまりまとめると、グループツアー?俺には幻影でした。最初から最後までずっと一人。逆にVIP扱いだと思っとく。
もう完成で良いだろ
いやほんとね、外から見た時点で「おおぉぉ!なんだこのラスボスの城みたいな建物は!」って度肝抜かれて、中入ったら中入ったで「ドラゴンも神様も動物も全部詰め込みました!ファンタジーワールドへようこそ!」みたいな世界観に引きずり込まれる訳ですよ。
で、一通り近づいて観て「おぉ木彫り細けぇ〜」ってなって、さらに中で「ほら幻想的でしょ?まだ掘ってるんですよ?」とか職人さんの努力を見せつけられるんだけど俺の心の声はただひとつ。
「もう完成で良いだろ」
外見は迫力満点で文句なし、中はファンタジー感MAXで観光客を黙らせる仕上がり。これ以上何をどう完成させるつもりなんだ? 神様が降りてきて最終仕上げするのか?それとも俺ら観光客のチケット代が永遠の材料費なんか?
って思いながら『未完成だからこそ価値がある』って理屈に観光ビジネスの恐ろしさを学んだ俺でした。

最後に
はい、ここまでサンクチュアリーオブトゥルースをふざけ倒しながら見てきましたけど、結論はシンプルです。
完成なんてどうでも良い。未完成のままでも観光客は来る。
そういうカオスな理屈で40年以上工事してるんだから、これもう寺院っていうより『終わらない工事現場テーマパーク』ですよ。職人さんたちは毎日木を彫りながら『俺たちが完成させたら仕事がなくなる』っていうパラドックスに震え、観光客はその終わらない作業を見て「うわぁすげぇ」って口を開けて金を落としていく。
建築の狂気、宗教と哲学のブレンド、未完成を観光資源にする皮肉…全部まとめると『世界一真面目にふざけた寺』
つまりだ。完成なんて目指さなくても生きていけるんだよ俺たちは!未完成上等!人生だって未完成でいいじゃねぇか!って強引にポジティブに締めてこの記事も完成(?)にしてやる。

コメント