ほなまずは大阪府の紹介からいこか…とか言いながら、もう関西弁続けんの面倒なってきたわ。普通に戻す。
大阪は言わずと知れた日本の商人の街であり、笑いの総本山。歴史的には『天下の台所』なんて呼ばれて、米も金も人も文化もワチャワチャ集まってくる場所だった。その名残が今も残ってて、街を歩けばおばちゃんにアメちゃん貰えるし、知らんおっちゃんにツッコまれる。そういう距離感の近さが大阪の持ち味だ。
名産物?やっぱ粉もん文化がドーンと光る。
- たこ焼き
- お好み焼き
- イカ焼き
- 串カツ(二度漬け禁止)
『二度漬け禁止』っていうルールが名物化してるあたり、もう大阪人の商魂とユーモアの合わせ技やな。胃袋に小麦粉を詰め込んで「幸せや〜」ってなるのが正しい大阪観光の流儀。
ただし偏見も根強い。
- 大阪=うるさい
- 大阪=ケチ
- 大阪=全部ボケる
みたいなイメージを持つ人も多い。
でも実際行ってみると、ケチどころかめっちゃサービス精神旺盛だし、ボケは標準語みたいなもんで、むしろ話しかけない方が失礼。要するに大阪は人間味が濃すぎて誤解されやすい県なんだよな。
去年の秋、金無し旅行で通天閣を訪れた。登らなかった。串カツも食わなかった。その代わり、街の風景写真をひたすら撮って帰った。結果『食べ歩きより撮影散歩の方が俺には合ってる』っていう新世界の真理に気付いたんだよな。
通天閣とは?
通天閣ってのはな、大阪のシンボルっぽいタワー。終わり。
…って言ったら怒られるか。じゃあちょっと足すとだな、場所は新世界のど真ん中、周りは串カツ屋とカラフルな看板でごちゃごちゃ。タワー自体は高さ100メートルちょいで「エッフェル塔の弟分です!」って自称してる。
展望台からは大阪の街が見渡せるらしいけど…俺?登ってない。だから実際の景色は知らん。多分すげぇんだろうなって信じてる。ただ下から見上げるだけでも「あぁ大阪来たなぁ」って気分になれるから、観光客的にはそれで十分な奴も多い。
要するに通天閣は、登らなくても大阪気分を味わえる便利ランドマーク。


通天閣の歴史
[1912年]初代通天閣の誕生
フランスのエッフェル塔と凱旋門をモデルにした『夢と勘違いの産物』
1912年(明治45年)、大阪に初代通天閣が誕生。
モデルはあのエッフェル塔と凱旋門。つまり設計思想は「ヨーロッパの観光名所をミックスしたら最強じゃね?」という、夢と勘違いの産物だった。
結果できあがったのは、塔なのか門なのかよくわからんシルエット。海外から見れば「お前ら何したかったんだ」案件だが、大阪人にとっては『パリを一撃で大阪に持ってきたドリーム建築』だった。
当時の大阪人が『これでパリに勝った気になった』背景
当時の大阪は『天下の台所』から『近代都市』へと変身中。そこで「パリの真似すれば俺らも先進都市や!」と妙にポジティブな思考回路が発動。
結果、通天閣が建った瞬間に大阪人は「よっしゃ!これでパリ超えた!」と勝手に勝利宣言。誰もパリ側から勝負受けてもらってないのに、完全に脳内ワールドカップ状態。
要するに初代通天閣は、大阪人の勢いと勘違いが産んだシンボル。でもその勢いこそが、大阪らしさの始まりだった訳やな。
新世界とルナパークの黄金期
遊園地と共に発展した『庶民のテーマパーク』
通天閣が建った新世界エリアには、同時に『ルナパーク』っていう遊園地もオープンした。
ジェットコースターやら観覧車やら、当時としては最新のアトラクションがズラリ。庶民にとっては「ディズニー?USJ?知らんけどウチには通天閣とルナパークがあるやん!」っていう夢のテーマパークだった。
要するに、ここ一帯が当時の大阪人のリアル夢の国。ミッキーの代わりにビリケンさんがニコニコしてた訳やな。
西洋文化に憧れすぎてカオスな空間が出来上がった話
新世界は名前の通り『新しい世界=西洋文化』をぶち込みまくった街づくりを目指してた。結果どうなったか。
ヨーロッパ風の街並みを真似したつもりが、串カツと将棋クラブと怪しげな看板が同居するごった煮ワンダーランドに進化。
西洋への憧れが強すぎて、むしろ大阪独自のカオス文化が爆誕したという逆輸入現象。
つまり黄金期の新世界は、「西洋に追いつけ追い越せ!」を狙ったはずなのに、気付けば『西洋どころか地球上のどこにも存在しない唯一無二の空間』になっていたのだ。
[1943年]火災で初代通天閣が焼失
「よりによって戦時中に燃えるなよ」というツッコミどころ
1943年、戦時中のドタバタ真っ最中に初代通天閣がまさかの火災で焼失。爆撃でもなく空襲でもなく、ただの火事で燃えたってあたりがもう大阪的。
国民が「米が足りねぇ!物資が足りねぇ!」と必死に生きてる横で、通天閣だけが「よりによって今燃えるんかい!」と見事なタイミングで自爆。
大阪のシンボルが炎上する様子に、市民は泣くよりも先にツッコんだに違いない。
戦後の再建までの空白期間
焼失してから次の通天閣が建つまでの約10年、大阪の空にはシンボルタワー不在の時代が続いた。
新世界の街並みは完全に『看板と串カツだけが主役』の状態。市民にとっては「通天閣のない大阪なんてお笑い番組でツッコミ不在みたいなもんや」と言いたくなる虚無感が漂った。
でもそこは大阪。無いなら無いで「また建てたらええやん!」と前向きなノリで生き延びた。
つまり戦後の再建までの空白期は、シンボルを失っても笑いと生活力で誤魔化した大阪人の強さを証明する期間でもあった訳だ。
[1956年]二代目通天閣の再建
大阪市民の寄付と熱意で復活
1956年、ついに通天閣が帰ってきた。再建資金の多くは市民の寄付。
「また建てたろやないか!」という大阪魂が財布のヒモをぶっちぎらせた。
当時の市民にとって、通天閣は電気代よりも優先する生活必需品みたいな扱いだったんだろうな。その熱意の結晶が二代目通天閣だ。
高さは100m超え!今度こそ『大阪のプライドの象徴』
再建された二代目は高さ103m。初代よりさらにデカくして「どうや?ウチのタワーちゃんと成長して帰ってきたやろ!」と大阪人が全力でドヤれるサイズ感。
しかも今回は耐火構造で、もう燃えへん。「火事でまた消えるとか勘弁な」というツッコミを自ら封じた改良版。
二代目通天閣は、ただの観光タワーじゃなくて大阪人のプライドを象徴する存在になった。要するに『笑い/食い物/通天閣』この三点セットが揃ってこそ大阪なんだよな。
ビリケンさんとの共生関係
通天閣が観光地として生き延びたのは『謎の神様』ビリケンの力
通天閣の再建後、観光地としての生命線を支えたのが、なぜかアメリカ生まれの謎キャラ『ビリケンさん』
見た目はちょっと微妙にゆるい神様で『足の裏をなでると願いが叶う』という設定だけで観光客を爆釣り。もはや展望台からの景色よりも「ビリケンさん触って帰ったか?」が通天閣観光のメインイベントになってしまった。
結果、通天閣はビリケン信仰と共に『大阪観光のど定番』として生き延びた。
『歴史より信仰頼み』というオチに繋げやすい
冷静に考えたら、通天閣の存在意義って「パリに勝つ!」だの「火事で燃えた!」だの散々な歴史ばっかり。
けど観光地として残った理由は「ビリケンさん信じとけば幸せ来るで!」っていう歴史じゃなくて信仰に丸投げした結果なんだよな。
つまり通天閣のサクセスストーリーは、建築技術や都市計画よりも「謎の神様が可愛いからOK」っていう超大阪的オチで締めくくられてる。
要するに、通天閣はエッフェル塔の弟分でもなければ凱旋門のコスプレでもなく『ビリケンさんの家』として大阪のシンボルに落ち着いたのだ。
[平成/令和]リニューアルと観光スポット化
LEDイルミネーションで『大阪のエッフェル塔感』を強化
平成に入ってからの通天閣は、ただのタワーで終わらないために必死のリニューアル。
その象徴がLEDイルミネーション。夜になると派手に光りまくって、遠目からでも「おい俺ここおるで!」と自己主張してくる。しかも季節やイベントごとに色を変えて『大阪のエッフェル塔ごっこ』を全力で演出。
もはや観光客に「パリより派手やん」って錯覚させるところまで来てる。
いまや新世界の観光経済を支える中心になっている
串カツ屋、将棋クラブ、派手な看板。新世界のごちゃ混ぜ文化のど真ん中で、通天閣はいまや完全に経済エンジン。
「通天閣見に来たついでに串カツ食べて土産買う」っていうゴールデンルートが観光業を潤している。つまり、通天閣は単なるタワーじゃなくて、新世界のATM。観光客が金を落とすシステムの中心に立っている訳だ。
要するに、平成から令和の通天閣は建築物というよりも経済装置。大阪のシンボルとして光り輝きつつ、ちゃっかり財布も吸い込んでくる。
…うん、やっぱり大阪っぽいよな。


アクセス情報
住所
名称 | 住所 | 情報源 |
---|---|---|
通天閣 | 大阪府大阪市浪速区恵美須東1-18-6 | 公式アクセスページ |
駐車場
名称 | 情報源 |
---|---|
通天閣(専用駐車場なし) | [公式]案内 |
営業時間
名称 | 時間 | 備考 | 情報源 |
---|---|---|---|
一般展望台 | 10:00-20:00 [最終入場]19:30 | [公式]営業案内 | |
特別屋外展望台(天望パラダイス) | 10:00-19:50 [最終入場]19:30 | [公式]営業案内 | |
オフィシャルショップ(2F)/わくわくランド(B1)ほか | 10:00-19:30 | フロア売店の営業時間 | [公式]営業案内 |
入場料金
名称 | 料金 | 備考 | 情報源 |
---|---|---|---|
一般展望台(大人/15歳以上) | 1,200円 | 個人料金 | [公式]営業案内 |
一般展望台(子ども/5-14歳) | 600円 | 個人料金 | [公式]営業案内 |
特別屋外展望台追加セット(大人) | +300円 | 一般展望台入場に追加。セット入場のみ | [公式]天望パラダイス/案内 |
特別屋外展望台追加セット(子ども) | +200円 | 同上 | [公式]天望パラダイス/案内 |
決済方法
区分 | 支払方法 | 備考 | 情報源 |
---|---|---|---|
通天閣/入場券 | ❶事前オンライン予約(Triplabo) ❷当日窓口 | 入場時間予約制/オンライン購入推奨 | [公式]営業案内 |
交通手段
手段 | 主要ルート | 所要時間 | 目安料金 | 情報源 |
---|---|---|---|---|
電車 | ❶なんば ❷[Osaka Metro/御堂筋線] ❸動物園前[1番出口] ❹徒歩 | 約10-15分 (電車約4分+徒歩約6分) | 約190円 | [旅シーズン]ルート解説サイト |
バス | ❶[大阪シティバス]なんば ❷新世界[恵美須町/新今宮周辺停留所] | 約25–30分 | [大人]210円(均一) | [大阪市営バス]所要時間の目安 |
タクシー① | ❶なんば ❷通天閣 | 約10分 | 約1,000-1,500円 | itsmo |
タクシー② | ❶新今宮駅 ❷通天閣 | 約5分 | 概算約700円前後(人数割表示の合計目安) | itsmo |
実際に行ってみた
道頓堀と近いからハシゴできる
通天閣は新世界、道頓堀はミナミ。距離的にちょっと歩けば両方ハシゴできる。
要は『串カツ食ってグリコの看板拝んでそのまま通天閣でビリケンさんに足の裏こすりつける』っていう大阪フルコースが成立する訳だ。
胃袋と脚力が死ぬけど、観光客のテンションならまぁいける。


エッフェル塔の入場料金が高かったから諦めた
正直、通天閣の入場料見た瞬間に財布が白旗あげた。
「お前…エッフェル塔の弟分やろ?そんなに自信満々に金取るんか?」って突っ込みながら結局登らず。
俺の中での通天閣観光は『下から見上げる無料プラン』で終了した。いやタダで十分楽しいんだよ。

大阪はお金持ちが遊ぶ観光地なのかも
結果的に、通天閣も串カツも全部『見るだけ匂うだけ写真だけ』で帰った。
財布の中身がスカスカすぎて「大阪って実は金持ち専用の遊園地なの?」って錯覚する始末。でも写真はめっちゃ撮れたから満足度は高い。
結論、大阪は金なくても遊べる。けど金があったらもっと楽しいのは間違いない。


最後に
通天閣の歴史をここまで語っといて、実際の俺は中にすら入ってない。
「大阪のシンボル!ビリケンさん!LEDでピカピカ!」って盛り上げといて、俺が見たのは下からのアングルだけ。
財布の中に入ってたのは、通天閣の入場券じゃなくて、ただのレシートと小銭数枚。あの時、展望台から大阪の夜景を見下ろす代わりに、俺は財布の中を見下ろしてため息ついてた。
結論、大阪観光で一番現実的な景色は自分の金欠だった。次こそは登る。次こそは串カツ食う…まぁ次に来れる時までに貯金できてたらの話だけどな。

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